Part.1からのつづきです。
◆3日目
大船渡市と陸前高田市を見学、碁石海岸(リアス式海岸で観光名所)を散策
大船渡市に住むAさんに、市内を案内していただきました。Kさんは、自宅から50m程離れたところで発見したお気に入りの洋服を着て来てくれました。海の目の前にあったAさんの自宅は全壊してしまいまだ瓦礫が残っていました。旦那さんは、家が流されていく様子を高台から見ていたそうです。「地震直後、避難しましょうと誘ったけれど、大丈夫よ、と言っていた人が津波で流された」「あの木の裏手の家のご夫婦は体が不自由で流されてしまった」と生々しい話をしてくれました。辺りを見回すとほんの少しの高さの違いが住民の生死を分けていたと実感できます。静かな町だったことが想像できましたが、現在は作業の大型トラックや、警察官の姿が目立っていました。
3日前に娘さんの結婚式があったAさんは、サプライズでプレゼントされた新しい母子手帳を嬉しそうに見せてくれました。当時のものは津波で流されてしまい、娘さんが新しく大船渡市の手帳をもらいプレゼントしてくれたそうです。中には娘が持っていて無事だった小さい頃の写真や親子写真が貼ってあり、心温まるエピソードとして心に残りました。
小野寺先生から、震災後直後の陸前高田市では役所が機能せず、医師達も支援を行うことが出来なかったと聞きました。医療が活きるためには国の対応、自治体の対応がきちんと機能していなければならない、医師は医療のことだけを考えていても思い描く医療が出来ないのだと感じました。
被災された方たちと過ごして、それぞれが抱えている問題が、震災直後では「家族や家を失い、悲しい、先が見えない」という漠然とした、でもみんなが共有・共感できる問題から、個別的でかつ具体的な問題に移行してきているように感じました。時間の経つ速さは人それぞれで、各人に合った段階の支援を提供していくことが大切です。自然の恐ろしさを実感したと同時に、それに立ち向かい協力しながら乗り越えていく人間の強さを強く感じました。
1日目は被災時の話を聞き暗い気持ちになってしまいましたが、2、3日目に実際に人と会うことで少し考え方が変わってきました。被災して家が流されたけれど、支えてくれる家族がいるかどうかで被災者の心の状況は変わってくるのかなと思います。そこに生きていて笑っている人がたくさんいたので、今はまだ希望が見えないかもしれないけどこれからつくっていけるような気がしました。
3日間を通して、大切なことはまずは医師として何ができるかではなく、私という一人の人間として、このような現場に直面した時に何ができるかを考えることなのではないかと思いました。私が医師になった時、今回の経験したことを活かして、冷静に判断し患者さんに寄り添い、広い視野で物事を見つめて医療をつくっていけるようになりたいと思います。
観光名所の碁石海岸。観光客は全くいませんでした。 またたくさんの人でにぎわう日がきますように。 |
美味しい美味しい秋刀魚! |