東日本大震災から半年が経った9月12日~14日、私達医学生2人が岩手県を訪れ、支援活動などに参加してきましたので、紹介します。
日程
9/12・・・川久保病院(盛岡医療生協)の医師と懇談
9/13・・・お茶っこ会に参加
9/14・・・大船渡市や陸前高田市を見学、
碁石海岸(リアス式海岸で観光名所)を散策
川久保病院では、医療支援が終了したあとの支援活動として①閉じこもり予防、②入居者の安否確認、体調チェック、③困りごと相談、④コミュニティ確立を目的とした『お茶っこ会』を行なっています。「~っこ」とつけるのはあちらの地方の方言です。職員3人が1チームとなり、大船渡市の仮設住宅を対象に週3回、午前・午後と仮設住宅の場所を変えて活動をしています。1軒1軒を訪ねてお誘いから始まり、健康チェックや体操、歌を歌ったりおしゃべりをしたりして過ごしています。
◆1日目
川久保病院の小野寺医師と懇談
川久保病院は、被災地である三陸沿岸から約100キロ離れた内陸部の盛岡市にあります。内科・外科・小児科・眼科・歯科からなる120床の病院です。
川久保病院では、震災当日から数日間は停電が続きナースコールが使用できなかったために、職員が交代で患者さんのベッドに付き添って介助していたそうです。現在の被災地は「医療機器も失い患者もいなくなり、開業医は撤退し始めている、医師には他県から働かないかとオファーがきていて、このままだと医者もいないし住めないし、ゴーストタウンになりかねない」と懸念されていました。又、「国は救急医療を担っている病院にしか補助金を出さない。政治の仕組みを変えお金の使い道を変えるよう要求していくことが大切だ」と話していました。被災地域では義援金が出たために、収入とみなして生活保護受給者を資格からはずしている自治体も増えてきているそうです。
川久保病院では、震災当日から数日間は停電が続きナースコールが使用できなかったために、職員が交代で患者さんのベッドに付き添って介助していたそうです。現在の被災地は「医療機器も失い患者もいなくなり、開業医は撤退し始めている、医師には他県から働かないかとオファーがきていて、このままだと医者もいないし住めないし、ゴーストタウンになりかねない」と懸念されていました。又、「国は救急医療を担っている病院にしか補助金を出さない。政治の仕組みを変えお金の使い道を変えるよう要求していくことが大切だ」と話していました。被災地域では義援金が出たために、収入とみなして生活保護受給者を資格からはずしている自治体も増えてきているそうです。
◆2日目
お茶っこ会に参加
病院から片道2時間半以上かけて大船渡市へ行きました。午前のお茶っこ会参加者は11人。70~80歳代で全員女性でした。まずは血圧を測り受付。そしてリハビリ体操、童謡の合唱、風船バレーボールなど声を出して盛り上がりました。会の中心となっていた看護師さんも、「山田市出身で両親は被災され、ふるさとはなくなってしまった」と話していました。午後の参加者は5人。この日は奥州市のはからいで観光ツアーがあって仮設住宅からバスが出たので、多くの人がそちらに参加したそうです。いつもの部屋では今後の対策会議が行われており、隣の小さい部屋で方言かるたを楽しみました。
病院から片道2時間半以上かけて大船渡市へ行きました。午前のお茶っこ会参加者は11人。70~80歳代で全員女性でした。まずは血圧を測り受付。そしてリハビリ体操、童謡の合唱、風船バレーボールなど声を出して盛り上がりました。会の中心となっていた看護師さんも、「山田市出身で両親は被災され、ふるさとはなくなってしまった」と話していました。午後の参加者は5人。この日は奥州市のはからいで観光ツアーがあって仮設住宅からバスが出たので、多くの人がそちらに参加したそうです。いつもの部屋では今後の対策会議が行われており、隣の小さい部屋で方言かるたを楽しみました。
公民館も市役所も郵便局もすべて跡形もなくなっていました。 |
町の記念樹だそうです。メッセージが残されていました。 |
Part.2につづく・・・・・・・・